【洋服リフォーム業界の歴史(後編)】

平成になり、アパレル業界が変貌してきます。既製品の氾濫からさらにカジュアル嗜好が進行し現在超大企業になったユニクロを筆頭にファストファッションという新しい文化が普及してきました。

繁栄全盛期の洋服リフォーム業界はこの一気に押し寄せてきた波に気づかず、対応できず、売上は年々ダウンしていきました。

洋服リフォーム業界の全盛期はなんとたった20~30年位だったと思います。

時代は低価格の衣類を毎年の流行で直すまでもなくたやすく捨てて新しいものを購入してしまう衣類の「使い捨て文化」がはじまりました。 

アパレル業界は安い人件費と地代、税金を求めて海外に進出し大量生産、大量販売(大量廃棄)で大繁栄してきました。

洋服リフォーム業界はもちろん国内で職人を雇い、育成するため、加工料金は安くするのも限界があり、お直し、リフォームして愛着して下さる人が激減してきました。

ちなみにレッツリフォームはこの時代の変化に気づき従来職人の経験と勘で行ってきた「修理」をマニュアル化して低料金化に成功しました。

どんなにカジュアル化、低料金化が進んでも衣類は傷むし、キズや穴やほつれができる!

新しく購入するより安く直せるのなら!と、いう方はたくさんいらっしゃいました。また環境問題やエコ志向も意識が高まり、ものを大切にしよう「もったいない」世界では「MOTTAINAI」なんて日本古来からある文化も見直されつつあります。 

しかし洋服リフォーム業界の職人不足、育成もできずに大半はチェーン店展開できる大企業が主体となり平成の後半には半数以上淘汰されてしまいました。

洋服リフォーム業界に未来はあるのでしょうか?次回、最終章をご覧下さい。

▷▷▷洋服リフォーム業界の未来は?

▷▷▷宜しければこちらのブログもご覧下さい!おもしろいと思いますよ(笑)


【洋服リフォーム業界の歴史(中編)】

昭和後半にはスーツの大量生産販売が全盛期となります。既製品が氾濫して洋服を仕立てる人は激減してしまいました。

洋服仕立業界は岐路に立たされました。

このまま仕立て業でいくのか、廃業して別の職に就くのか、洋服リフォーム業という新しい業にチャレンジするのか!

我が家のケースですが仕立業にこだわる祖父と洋服リフォーム業を行おうとする父との間で諍いが起こりました。

結局、父が反対を押し切り洋服リフォーム専門の店に改装してしまいました。

当時はまだ高飛車だった洋服仕立業界からみたら自分の作った服でなく他人の着た既製品の直しをやらなくてはならないこと、紳士服専門の職人が婦人服の直しなどやらなくてはならないこと、破れた服を直してほしいなどありえないような依頼にもこたえなければならないこと、様々な困難やストレスがあったと思います。我が家はたまたま母が婦人服専門だったので紳士服、婦人服、両方直せる洋服リフォーム店としていきなり大繁盛しました。

時代はこの洋服リフォーム業を待っていたのです。瞬く間に全国各地にお店がたくさんできてきました。

父はというと毎日朝から夜まで針を持って仕事していた頃と全く変わり、職人を雇ってお店を任せ、チェーン展開する事になりました。急に羽振りがよくなり生活も全く変わっていきました。

時代はバブル経済!

洋服リフォーム業も繁盛して職人上がりのにわか経営者がたくさん出てきました。

父は仕事をしなくてもお金が入るようになり、お酒の量が増えてついに体を壊してなくなってしまいました。(詳細省略)

この事を契機に私は希望していた警察官の道をあきらめ家業を継ぐ事になりました。

体育会系大学だったので洋服や洋裁のことを学ぶための学校と経営の事を学ぶための専門学校を急遽二つも行き卒業後、直ぐに会社に入りました。繁盛していたのでいきなり青年実業家気取りでした。

この繁栄が衰えるなどとは夢にも思っていなかったのです。

ところが時代はさらに移り変わる事になるのです。

▷▷▷後編に続きます。

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【洋服リフォーム業界の歴史(前編)】

日本に和服しかなかった時代から明治維新で洋服が入ってきました。最初は軍服からでした。次第に庶民にも洋服が広がり一張羅というように1、2ヶ月分の給料を注ぎ込み自分のスーツを仕立てる人が増えてきました。

全国各地に洋服仕立て業者(テーラー)が増えてきました。婦人服ももちろん仕立てしかありませんでした。婦人服は(洋装店)といいました。双方合わせて当時、5万人以上の業者が生まれ大きな産業になったそうです。

多くの学校も組合もできました。

私の叔父は当時は忙しくて儲かった!

なんて自慢話をよく聞かされました。

ところが戦後、既製品が増えてきました。

高額なオーダー品(仕立て品)を買えない人達は既製品を買い始めました。当時は「つるし」なんていって仕立て職人は既製品のことを小バカにしていました。

ところが既製品がどんどん氾濫してきて安い上に品質よくデザインもデザイナーと呼ばれる人達がでてきて格好良く作られてきました。若者は既製品を抵抗なく購入するようになってきました。

昭和50年から60年の間についにオーダー品から既製品が主流になってきました。

洋服仕立て業界の繁栄はたった50年足らずで衰退期を迎える事になりました。

次回はその時代の分岐点に立たされた仕立て業界の歩んだ道を書かせて頂きます。

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▷▷▷中編へ続く

「レッツリフォーマーアカデミー要請講座」の発起人であり、主任講師の高柳光生を紹介します。

警察官志望で某体育会系大学4年のころ、父が死去し、急遽家業を継ぐ事になる。

大学卒業後、名古屋モード学園、大原簿記で学び、その後社内外で洋服仕立て、洋服直しの技術を学ぶ。

独自の洋服リペアノウハウ、靴鞄メンテナンス方法を開発しヒットサービスになる。

5年後、洋服リフォームチェーン展開後、方針を変更し直営店4店舗体制で技術、経営ノウハウ指導事業をはじめる。

2018年で20年間で通算800回以上の洋服リフォームをはじめ靴鞄メンテナンスの講習会を全国各地で開催。

洋服リフォーム業界、クリーニング業界活性化、トータルメンテナンスサービスの普及に邁進中!

2018年から「レッツリフォームアカデミーリフォーマー要請講座」を開設「洋服の修理ができる人をたくさん育成して、洋服を直して大切に愛着する文化を創りたい。」

  • 信念「もったいない」
  • ミッション「持続可能社会への貢献」
  • 趣味「洋服直し、靴鞄メンテナンス」、講習、温泉
  • 苦手「カラオケ、昔話、ドキドキする酒場」
  • 宿泊「カプセルホテル」

講習中は真剣そのもの!

講習中の様子!楽しく盛り上がります!